雑学、豆知識をご紹介

〜極上の暇つぶし〜

       

第3章 〜オーパーツの謎〜

☆オーパーツ…Out Of Place Artifacts (場違いな人工物、工芸品)という言葉からとった単語。

水晶のドクロ コスタリカの石球 ピリ・レイスの地図 コロンビアの飛行機
エジプトの弾み車 アンティキティラの機械 エジプトのグライダー プレインカの超極細糸
1.水晶のドクロ
マヤのベリーズ遺跡で発見されたものを代表として、現在十数個が存在するとされている。 ベリーズ遺跡の水晶ドクロは、1927年にイギリスの探検家、ミッチェル=ヘッジスが発見した。 一塊の水晶から削りだされており、とても精巧に作られている。 下あごの部分が取り外しでき、歯の一つ一つや、噛み合わせまで緻密に作られているという。

また、ドクロの下部から光をあてると、特殊なレンズ効果によりドクロの目の部分が光を発する作りになっているらしい。 ドクロは無色透明だが、太陽の光をあてると虹色に光り、ろうそくの光りをあてると紫色に光るという。 この光りを見つめると、ほとんどの人が催眠状態に陥るという話もある。

水晶は硬度が高い上に割れやすいという特徴が有り、その緻密さや光の屈折を考えた仕組みなど、当時の技術力ではとうてい製作不可能と考えられている。 神官または呪術師が数十年をかけて磨いたという説があるが、その方法では数百年かかる可能性があるという。 しかし、古代マヤ文明やアステカ文明では、水晶の小型ドクロを作っていたという説が有り、この水晶ドクロも長い時間をかけて、人の手でこすりあげていったのかも知れない。 この水晶ドクロをめぐって、様々な神秘体験や怪奇現象の話があるが、真意の程は定かではない。
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2.コスタリカの石球
1930年代の始め頃にコスタリカのジャングルの中から発見された。 作られた年代は、紀元前から16世紀の間と幅広く考えられ、その地方の原住民の間にも伝説や言い伝えが残っていない。 大きさは直径2センチのものから直径2メートル、重さ25tのものまでと大小さまざまなものがある。 一部の石球は石灰岩で作られているが、多くは花崗岩で作られ、発見現場の近くでは花崗岩が採掘された場所が無い。

この石球の最大の謎は、完全な球体に近いものが多く、直径の最大誤差が0.2%というものまであり、非常に高度な幾何学的な計測が必要とされているということだ。 当時の技術で可能だったのだろうか? 石球を作る方法としては、始めに石斧や銅製の道具で削り、その後に時間をかけて磨き上げていったという方法が考えられているが、その真意は定かではない。

石球の配置には規則性があるとされ、星座の並びをしている、とか、天体カレンダーの役割をしていたなどといわれているが、発見後に盗まれたり、壊されたりしているため、それについても仮説の域を出ない。 では、この石球が何のために使われていたのか?宗教的な儀式に使用されていたのか、太陽や月を崇拝するように、神仏崇拝の対象として崇められていたのか、それを知る人はいない。
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3.ピリ・レイスの地図
第1次世界大戦後、トルコのイスタンブールにあるトプカプ博物館で発見された航海図。 この地図が作られたのは1513年とされ(地図に記されていた)、南アメリカや西アフリカ、南極大陸の海岸線の一部などが描かれていた。 南極大陸が発見されたのは1820年であり、より具体的に南極大陸の形がわかるのはさらにその後である。 ピリ・レイスの地図にはほぼ正確に南極大陸の海岸線が描かれていることが、オーパーツと言われる所以である。

また、この地図には“紀元前400年頃に作られた原版を編集した”とも記されており、その時代から南極大陸の正確な情報が知られていたともされる。 この地図に描かれているような正確な海岸線を記すためには、各地点の経度や緯度を正確に計測しなければならず、1513年に作られたとしても作成は難しい上に、紀元前400年頃ではほぼ不可能とされる。

この地図がオーパーツではないという考えもあり、「南極と言われているものは、南アメリカの海岸線ではないか」、「地図の中に“灼熱の砂漠”と記されており、南極ではない可能性が高い」、などの意見が出ている。
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4.コロンビアの黄金飛行機
古代アンデスの遺跡から発見され、現在はコロンビアの首都ボゴタにある、国立銀行付属黄金博物館に展示されている。 飛行機やスペースシャトルに似た、黄金で作られた工芸品。 大きさは、長さが6cm、幅が5cm、高さが1cmほどで、装飾品として作られた物とされる。

発見された時には、魚をかたどって作られたと思われていたが、目や口が無いことや、主翼や垂直、水平尾翼のようなものがあること、航空力学的に見ても理にかなっていることなどから、飛行機をかたどって作られたと考えられるようになった。 また、飛行機の専門家たちによれば、ロケットエンジンを搭載した飛行機、水陸両用の乗り物、宇宙にまで行けるスペースシャトルなどである可能性もあると言われている。

しかし、同じような形をした金の工芸品が複数発見されており、それには垂直尾翼と思われる部分が無かったり、翼と思われる部分が歪んでいたりすることから、このひとつが偶然飛行機に見えるだけかもしれないという意見もある。 また、発見された地域に生息するプレコという魚によく似ていることから、プレコをかたどって作られたものとも言われている。
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5.エジプトの弾み車
1937年、サッカラ遺跡のエジプト第1王朝(紀元前3100年頃)の墓から発見された。 大きさは、直径60cm、厚さ10cmほどで、形は車のフライホイールや扇風機の羽根のような円形をしている。 片岩というとても軟らかい石で作られており、何かの部品として使用することは不可能だと考えられている。

しかし、元々金属製だった同じ形のもののレプリカとして作られたとする考えもあり、現代の飛行機や機関車のエンジンに用いる弾み車に似ていることから、オーパーツとして扱われるようになった。

これが見つかったのが、エジプト第1王朝のサブ王子の墓で、その墓には“ホルス族の星”と記されていた。 ホルスとはハヤブサの姿をしたエジプト神話の神で、この王子が飛行機や船の高度な知識をもっていた可能性もあるとされている。
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6.アンティキティラの機械
エーゲ海のアンティキティラ島の沖合で発見された沈没船の積み荷から見つかった。 沈没船は紀元前1世紀頃のものとされ、積み荷からは大理石や青銅の彫刻も見つかっている。

自動回転式の天球儀とされ、円盤とメモリのようなもの、多数の歯車が、青銅と木で作られている。 太陽や月、地球以外の惑星や星などの動きを正確に模しているといい、その計測誤差はほんのわずかということだ。 現在で同じものをつくるためには、天体の位置や軌道などの正確なデータが必要になる。

構造的には時計に似ているが、機械的な時計が初めて作られたのは14世紀になってからである。 紀元前に歯車を用いた機械が製作可能だったとは考えにくく、何の目的で使用されていたかもわかっていない。
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7.古代エジプトのグライダー
エジプトのサッカラにある紀元前2000年頃の墳墓から発見された。 鳥の木製像が複数見つかっているため、その内のひとつと見られていたが、足が無いことや、尾羽が垂直尾翼(鳥の尾羽は水平)のような形をしていることなどから、現在のグライダーの模型であると考えられるようになった。

ある研究者がこの木製像と同じ物を作って飛ばしてみたところ、かなりの距離を滑空したという。 このことから、古代の人たちが本物のグライダーをつくる際に、模型を作ったと考えられているが、鳥の模型なら滑空しても当然だという人もいる。
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8.プレインカの超極細糸
ペルーのプレインカ遺跡から発見されたビーズのような装飾品がある。 スポンディルスという2枚貝で作られ、直径1mmほどの小さなビーズのようなものに、直径0.3mmという小さな穴があけられている。 とてももろい貝に小さな穴を空ける技術に加えて、その穴には6本の超極細糸が通されたという。 その糸は現在の技術でも、紡ぐことができない細さで、どのようにして紡がれたのかはわかっていない。

また、同じプレインカ時代の発掘品として、黄金のマスクにエメラルドが数珠繋ぎに垂れ下がったものがある。 このエメラルドにも穴があけられており、硬度7.5〜8と言われるエメラルドに穴を空けるためには、それ以上の硬度をもつもの(ダイヤモンドやルビーなど)が必要になる。 その時代にそういった石が使われた形跡はなく、どのように穴をあけたのかは謎である。

とてももろい貝やとても硬いエメラルドに穴をあける技術といい、超極細の糸を紡ぐ技術といい、今の技術でも難しいことを、プレインカ時代の人たちが行っていたとすれば、 その文明の技術力はとても高かったことになる。
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